素晴らしい賃貸物件選びのコツブログ:18-4-2018
ボクは両親が本当に嫌いでした。
小さいころの記憶といえば、
家でお酒に溺れる父親、
そのことで父親をなじる母親。
そしてその怒りをお姉さんやボクにぶつけ、
お姉さんはその怒りをボクにぶつけていました。
家には居場所がない…
お子様の時のボクは
そう考えるしかありませんでした。
以前、実家に帰った時に
小学生の時に作った壁掛けがあったはずなので、
母親に見せてほしいと頼むと、
「捨てた」と言いました。
ボクは当然のように聞きました。
「なんで捨てるねん、小学生のとき作った作品で唯一残ってるやつやん」
母親は言いました。
「あの壁掛け吐き気するくらいキライやねん。
灰色とかなんともいわれへん色ばっかりやから」
その通りです。
ボクがみても30秒が限界なのですから…
小学生の持つ明るさなどまったくなく、
絶望という言葉がふさわしいような色だけでした。
そして中学、高校と
表面的には普通のお子様でしたが
内面的にはどんどんゆがんでいきました。
変わることのない父親と母親、お姉さんとの確執。
その時のボクの望みはただひとつ、
「楽に死にたい」
何度も首をくくる練習もしました。
包丁をウエストにあてたりもしました。
このまま目が覚めなかったらいいのに…と
日々のように思っていました。
そしてある時、ボクは決めました。
「こいつらは赤の他人や」と。
そしてボクは一度だけ両親に言ったことがあります。
「こんなゆがんだ性格にしたのはあんたらのせいや、謝ってほしい」と。
両親は頭を下げました。
でも、そんなボクでも
今は少しづつ父親も母親もお姉さんも
許せていっています。
お姉さんにお子様が産まれ
実家でお子様たちと遊ぶようになった時に、
お姉さんから
「ありがとう」と感謝をされたことで
ボクの中で何かがかわりはじめたんです。